血と炎






メレンデス侯爵の回想録





 私は今自らの死を決意して、何故このようなことになったかを思い返して居る。   私がメリッサと出会ったのは、三十年程前。   いや、今にして思えば、すべてマリアとのことが原因になっていたのだろう。 そう、今から四十年以上も昔のことだ。   小さなマリア。   私の愛らしいまた従兄弟は、春から夏にかけて、私の家族と別邸で過ごすのが習慣になっていた。 体の弱かった彼女は、暑い夏を少しでも過ごしやすい場所で送る必要があったのだ。   私には何人か兄弟はあったが、何故か男兄弟ばかりだったせいか、小さなマリアを妹ように思って   いたものだ。 マリアは何処へ行くにも着いてきたがり、その度に熱を出し、私に傍に居ろと聞かなかった。   ある年の夏、近くの邸にセルバンティス伯爵の一家が初めてやって来た。私と同じ年頃の子息が居て、   すぐに友人なった。 その年から、毎年マリアと、三人で過ごす、夏が始まった訳だ。   彼は負けん気の強い男で、何につけても私と争いたがり、私はまたそんな事が苦手な男で、彼に勝ちを   譲ってしまうことが多かった。 まあ、今にして思えば、その事も彼は快く思っていなかったらしい。   私が十六なった時、フランスへの留学の話が出た。 王家とつながりのある、メレンデス侯爵家だ、その跡取りに、フランスの社交界で勉強して来いと   言うのは、両親の考えとしては、しごく当たり前のことだ。   ただ、マリアが、ひどく嫌がった、フランスへ行けば、戻って来ないのではないかと言うのだ、 心配しなくても良いと、さとしても、聞き分けてくれるのに、その年の夏いっぱいかかった。   そして、私はあくる年の春を待たずに、フランスへ旅立った。   ピレネーの山を越せば、フランスに入るという所へさしかかった時、私は一人で水辺へと、やって来た、 朝の光の中で小川は、美しく輝いていた。口をゆすぎ、顔を洗って、皆のもとへ戻ろうとした時、   歌声が流れて来るのに気が付いた。   思わずその歌声の主を捜した。そして、そこに彼女が立って居たのだ。朝靄の中から現れたのは、   幼さの残る、ジプシーの少女だった。   メリッサ、私はその時魅せられたのだ。貴族の令嬢達にはない、野や山を駆ける風の香りのする彼女に。 私に彼女も気付き微笑みかけてくれた。言葉を交わそうとした瞬間、お互いの仲間の呼ぶ声がして。 その時は別れてしまった。二度と会うこともないと想いながらも。彼女の姿が私の中に鮮明に残った。   その後七年程、私はフランスにとどまった。社交界が私に合っていた訳でもないが、   フランス貴族達との日々はスペインで過ごすより、確実に早かった。   マリアとは手紙のやり取りだけは、続けて来たが、ある年にマリアと、セルバンティス伯爵の結婚を   知らせる手紙が届いた。   その時戻れば、こんな事にならなかったかもしれないが、少しやり残したこともあって、私が戻れたのは   二人の結婚から三年程たっていた。   私が戻って出迎えてくれたマリアは、昔の幼く愛らしいマリアではなく。奥方らしい落ち着きと、   それに重なるように何処か寂しい影をやどしていた。   それに引き替え、セルバンティス伯爵の自信に満ちた、勝ち誇った顔に、不信感を抱きつつ、   彼が私の戻った祝いに、夜会を開きたいと言ってくれたので快くそれを受けた。   数日後、セルバンティス伯爵邸に主賓として招かれた私の前で余興として披露されたのは、   ジプシーの歌い手によるものだった。私は自分の目を耳を疑った。彼女だあの日の朝出会った、   この何年間忘れたことのなかった、あの人なのだ。私は幸運を喜びながらも、彼女の中に風の光が   消えていることに気付かずにいられなかった。   マリアは彼女の歌が始まり、私が衝撃を受けていることに気付いたのだろう。何時の間にか退出していた。 (私は、後になってその事に気付いたが。)   歌が終り彼女が下がった後。私は人目も気にならずに彼女を追った。その時、セルバンティス伯爵の   勝ち誇った笑い声が、私の背中に響いて居た。   彼女の控えている部屋を捜しだし、何とか話をする許可を取り付けた。   私はメリッサに問いただした。何故此処に居るのかと、嫌なものが私の中で駆け抜けたのだ。   それは、悲しいことに的中した。一年ほど前にこの土地へやって来たのだと言う、   そしてこの屋敷に呼ばれた。セルバンティス伯爵が、その時見初めたのだと。   その夜引き止められて、ほとんど手込め同然に、伯爵に抱かれたのだと。   仲間は帰されたが、メリッサはそのままこの屋敷の中で暮らし始めたのだ。   風の流れない屋敷の中での生活はメリッサの心を荒んだものにしていた。   彼女の中の憎しみはセルバンティス伯爵だけでなく、マリアにそして私に向けられていたのだ。   私はマリアに、メリッサに出会った日のことを手紙で知らせていたことを思い出した。   セルバンティス伯爵は何事においても、私と張り合っていたそして、私がマリアに、メリッサのことを   知らせた事を聞き、私の心を予測したのだろう。私が一目で恋をしたのだと。   マリアは、そのことで酷く傷付き泣き暮らす日が続いたようだ。   セルバンティス伯爵はこの時、マリアに求婚して。数年かかって、マリアを手に入れたのだ。   勿論私は聞かされるまで、マリアの気持ちなど考えたことすらなかったが……。   そして、運命を司る神はメリッサを、この地へ連れて来たのだ。   私が恋した女性だと気付いて、マリアは怯えセルバンティス伯爵は、私を最終的に打ちのめす手段として。   メリッサを手に入れたのだ、それが先程の笑い声なのだ。   私は、自分の無知と無頓着さを呪った。そして追い討ちを掛けるように、メリッサは私に打ち明けた。   セルバンティス伯爵の子供を身籠もっていると。そして、この子供がかならず、自分の恨みを   果たしてくれるだろうと。   朝靄の中で微笑んでいた少女は、間違いなく女になっていたのだ。   月が満ちて、メリッサは男の子を生んだ。そして、運命を司る神は、何処まで残酷なのだろう。   同じ月にマリアも男の子を生んだのだ。マリアは体が弱く子供は望めないと思われていた。   しかし、無事に出産したのだ。伯爵の策略のために嫁いだとはいえ、マリアは正妻そのうえ男子となれば、   まさしく嫡子である。メリッサは、セルバンティス伯爵にとって、私を打ちのめすための道具だった訳で。   その目的の達成されている今、用の無い存在になって居た。   メリッサが屋敷を出されることが決まった。私は彼女を引き取ることを、申し出ていたのだ。   メリッサが来てくれるかと心配したが、彼女は承諾してくれた。すべてに疲れ果てた、彼女の去る日に。   マリアは、嫁ぐ日に持って来たネックレスを、メリッサに与えた。   私は、不思議に思ったが、マリアはお金に困ったときに何かの足しになるだろうからと笑い。   メリッサは、赤ん坊を抱いてただ泣くだけだった。恨みを果たすとあれ程燃え盛っていた、   メリッサの中の炎が、消えたはずはないと思いながら。私の屋敷での暮らしが始まった。   ある日私は、メリッサが赤ん坊に乳を与えている時に、赤ん坊の瞳を見て愕然とした。   グリーン・アイ、面差しが幼い頃のマリアに似ているのだ。メリッサの事を正式にと考えていただけに。   私の驚きは余りに大きくメリッサに訳を問いただした。   メリッサは、マリアに男の子が生まれたと聞いたとき、入れ替えを決意したのだと言う。   しかし屋敷を出る時のマリアの様子から。全てを承知の上であの屋敷から出してくれた。   だから自分の生んだ子供を、マリアが育ててくれている限り、自分もこの赤ん坊を育てるのだと   涙を流しながら訴えた。   私のために、二人の女性に過酷な運命を与え。そして、今何の罪もない赤ん坊に悲しい運命を与えてしま   ったことを、わびるしかなかった。メリッサは、もう忘れると言い、私に対して最初に出会った、   あの朝靄の中で、自分も恋をしていたことを打ち明けてくれた。   それから数年、私たちは幸せに暮らした。一番幸せだったのかもしれない。親族達の許可が下りない   ながらに、ファノと名付けた子供と、私とメリッサ。季節ごとに、旅を楽しみながら。   月日を過ごしていた。そして、メリッサが私に報告したいことがあると言うので。   何を改まってと思っていたら。子供を身籠もったと言うのだ、その事で私に迷惑が掛かるのではないかと   怯えるのだが、私は手放しで喜んだ、メリッサと私に子供が生まれる。親族達を説得できる。   そう思ったのだ。   そして、メリッサは子供を生んだ。女の子だった。   メリッサは、それでも構わないと言う私の言葉を振り切るように、親族達の説得に数日屋敷を開けた間に。   ファノと生まれて間もない赤ん坊を連れて、私の前から消えてしまった。   それから十数年間私は、捜し続けた。国内だけでなく、ヨーロッパ中を旅した。   そして、メリッサと出会った場所に立ち寄った時。あの時と同じ朝靄の中で歌声を聞いたのだ。   私はその声を捜した。その時振り向いた少女は間違いなくあの日のメリッサだった。   私を見詰める瞳は、微笑んで居た。   少女を、呼んでいるらしい声が聞こえる。少女は、その声に答えた。   「ファノ此処よ。」   と。   それが、私の娘、私の妻、エルビラとの新たな出会いだった。




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